作成者:長沢 雅春 (ながさわ まさはる)
(佐賀女子短期大学 キャリアデザイン学科  教授 国際交流センター長 2002〜)


「近代日本と韓国・朝鮮半島」作成者の私的あらすじ
・HPの更新が滞っていたが、ようやく更新を再開する。(2014.6)
・キャリアデザイン学科にキャリア韓国語系を設ける。(2014.4)
・長男が中学1年となり、二男は小学6年となる。(2014.4)
・長男の卒業式翌日、郷里の父他界す。(2014.3.19)
・長男が小学校を卒業(2014.3.18)
・『韓国映画を作った男たち』(青弓社)を刊行する。(2013.10)
・職場近くの賃貸戸建てに居を構える(2013.8)
・12年間にわたるに学生寮(みずほ寮)の寮監を退任し、晴れて門限・点呼から解放されて自由の身となる。(2013.8)
・バックアップを取っていなかったUSBメモリが完全に使用不可となり、2009年度からの5年間すべてのファイル(論文含む)を喪失。当HPはサーバーに残っていた。絶望しつつも1週間で精神的に立ち直る。(2013.6)
・蔚山科学大学(韓国)との間でダブルディグリー協定を結ぶ(2012.12)
・「文化コミュニケーション学科」を改組し「キャリアデザイン学科」となる。(2008年)
・長男が小学校に入学。次男は附属幼稚園年中組に進級。(2008年)
・2006年度もHPアドレスが定着せず、職場HPからもリンクが消えてほぼ壊滅状態となる。長男が年長組、次男が年中組に進級する。(2007)
・苦労に苦労を重ねる(2007)
・2005年度は忙しさにかまけて更新をほとんどせず。この間、職場のシステム変更により従来のHPアドレスが使用できず、ネット上のジプシー状態となる。(2006.6)
・次男が付属幼稚園に入園、長男は年中組に。(2006.4)
・前年、子供が県立の児童福祉施設に入園したことが縁で、「佐賀県立福祉施設あり方検討委員会」委員を引き受けることになった。「民間にできることは民間に」、という佐賀県の方針で施設の見直しをする委員会。微妙な立場だ。(2006.4)
・長男が付属幼稚園に入園。(2005.4)
・悪いことは起きていないから今年はさすがに吉だろう。(2004.5)
・逞しくなった長男次男を児童福祉施設より退園。(2003.12)
・妻が自転車転倒事故のため大腿骨頚部内側骨折し、佐賀県立病院好生館に入院(2003.6.9)。生後6ヶ月と1歳9ヶ月の長男次男を佐賀県児童福祉施設みどり園に預ける。
・清水市が静岡市と合併し、郷里は静岡市清水庵原町となった。(2003.4.1)
・寮監と教員の兼務でどんどん時間が奪われていることを実感。(2003.3)
・次男誕生(2002.12.28)
・長男誕生(2001.9.25)
・学生寮の寮監となる。(2001.4)
・苦労は絶えない。(2000年)
・帰国と同時に現職場に就職(背振山を北に望み、南にムツゴロウと親しむ)。
・人にいえない数々の苦労をするも、多くの友人を得る。
・仁済(インジェ)大学校(韓国)日語日文学科専任講師。金海・釜山を根城として隅々まで探索す。(1995)
・日本映画学校講師。校長は「復讐するは我にあり」の今村昌平監督。担当したクラスの担任は、人気TVシリーズ「チャコちゃんケンちゃん」の監督さんでした。
・社会科教員免許状と国語科教員免許状を取得。
・苦労を苦労ともせずアルバイトに励む
・高校卒業とともに上京。
・1958年、静岡県清水市に出生(高校卒業まで富士を望んで通学し、山では山芋掘りに熱中して成長)す。


賞罰

・賞罰ではないが、昇格する。(2006.4) 以後、寂しいが賞も罰もなし。
・韓国金海市式で走っていたところ、伊万里で帰国そうそうネズミ捕りで速度違反。
 むっとして慣れた韓国式で、「急いでいるんだから」と言うと、「こっちだって忙しいんだ」と警官に言われて、なるほどと渋々押印。
  〆て1万8千円也。あと3キロオーバーで免許停止だった。韓国なら許してくれるのに……。
・俳句結社『港』新人賞(1995年)


滞韓四方山話(1998年のHP作成当時。初心を忘れるべからず)
振り返れば、静岡からはじまり、横浜、調布、溝の口、金海、佐賀と引越しを繰り返しているが、いまのところ生涯最大の引越しは国境を越えたことだ。
帰国の予定もなく、成田発釜山行の大韓航空便のチケットは割高の片道切符だった。
運行時間はおよそ2時間。出発当日の東京は吹雪だったが、着陸したときの釜山は快晴だった。荷物は30kgを超えた。
滞韓中は職場を中心とする多くの韓国人および日本の友人・知人たちから物資や精神的な支援をいただいた。
この支援がなかったならばいまごろ気の病に犯されていたかもしれない。大袈裟かもしれないが、片道切符での異国暮らしとはそういうものだと思う。
とくに『港』能城氏には感謝の意を尽くせない。

その大韓民国慶尚南道金海市三芳洞シヌ・アパート201号室。いまでもこの部屋のさまざまな思い出は忘れがたい。
当たり前の話だが、周囲がすべて韓国であるなか、201号室この部屋の中はかたくなに日本だった。
徐々に韓国人的な発想と行動に慣れ、また染まりつつあるなかで唯一アイデンティティーの拠りどころがこの201号室だった。
いまとなっては滑稽だが、1年目はテレビを持たなかったため(ウォン換算するとあまりにも高額に見えたため)、
日本から差し入れの短波ラジオを耳に当てて海外向けNHKラジオ放送で日本の情報を仕入れていた。
日比谷のサリン事件を知ったのも短波ラジオからだった。

韓国では、日帝植民地時代に少年・少女期を過ごした年配の人々と、多くの出会いがあった。
そのなかの一人に、自分が韓国人であるのか日本人であるのか、よくわからなくなるときがあるという老女と出会った。
そんなとき、その女性は日本語で詩を書くことで自己の慰めとしているという。
また、抗日の義士を亡父として持つ老女の愛読書は国木田独歩の『武蔵野』であったという。
これまで西洋からの受容について多く語られてきた日本近代文学の、もう一つの歴史的側面を直接肌で感じた出会いだった。
そして自分のなかで、日本近代文学への向き合い方が大きく変わっていったことを強く感じた。

動機は単純かもしれないが、思考の方向が、過ぎ去った韓国での生活風景とともに半島に向かうようになったのを強く感じる。
日本文学と韓国文学との接点、あるいは朝鮮総督府の諸々の政策など、滞韓を機に未知の領域が増えた。
以後、世の流行を追うわけではないが、古い韓国語文献資料の中に潜む日本近代文学の掘り起こしを研究領域とすることにした。
日本の近代(文学)史では語られていない日本近代の有り様である。
そして、日本語。明治以後、半島・大陸へと膨張してゆく日本語は、「國語」となって近代文学とともにその勢力を増していった。
日本語教育、いや国語教育の背後に聳えてあった行政システムと、それを支えた思想の内実に迫りたいと思う。

だが佐賀にいて、資料収集のための国立国会図書館めぐりは金銭的にほとんど無謀だ。
それで、「資料は韓国の図書館に行けば山ほど埋もれている」と信じ資料収集はもっぱら韓国内で行うことにした。
唯一の特技、通訳者がいなくても韓国中の図書館で資料探索できるという特技を生かして。

韓国・朝鮮半島に近い佐賀に住むことになったのも、強い何かの縁だと思えてならない。
とはいえ、帰国してからというもの、徐々に異国での生活風景が薄らいできている。それをいつまでも繋ぎ止めておきたいと思う。
「近代日本と韓国・朝鮮半島」はそんな意味合いを含めて立ち上げたサイトだ。


書籍
・『韓国映画を作った男たち』(安鍾和著/長沢雅春訳 青弓社刊2013.10 原著『韓国映画側面秘史』1962 春秋閣刊)
・『続生活日本語』(J&C出版、ソウル 2002.8)
・『生活日本語』(J&C出版、ソウル 2002.8)
・『My Japanese』(イルボノバンク、ソウル 1999.2)


論文

・「併合下の朝鮮映画作品年表(1903―1945)」 (『佐賀女子短期大学研究紀要』 第46集 2012.3)
・科学研究費補助金『研究成果報告書:朝鮮総督府における「国語」政策の基礎的研究』(総146p)(2008.3)
・「韓国国立中央図書館藏 日帝期朝鮮教育資料目録―渡辺学・阿部洋編『日本植民地教育政策史料集成(朝鮮編)』(龍渓書舎)未収録資料」(『佐賀女子短期大学研究紀要』 第42集 2008.3)
「日韓併合下における朝鮮教育の〈同化)思想について―学務官僚弓削幸太郎と大野謙一の場合―」(『佐賀女子短期大学研究紀要』 第41集 2007.3)
「韓国学部の普通学校制度と〈義務教育精神の廃止〉について」 ((『佐賀女子短期大学研究紀要』 第40集 2006.3)
「寺田透と戦後派文学」(至文堂『国文学解釈と鑑賞』 11月号 特集:戦後派文学 2005.10)
「明治日本から帝国日本への転位と自画像―中根隆之著『〈朝鮮〉表象の文化誌』を読む―」(『日本近代文学』 第72集 2005.5)
・「韓国国立中央図書館蔵 朝鮮総督府編纂発行教科書目録」(『佐賀女子短期大学研究紀要』 第38集 2004.2)
・「釜山広域市立市民図書館蔵 朝鮮総督府編纂発行教科書目録」(『佐賀女子短期大学研究紀要』 第37集 2003.3)
「日本浪曼派と影山正治(大東塾主宰)―大東塾グループ≠フ昭和維新文学運動」(至文堂『国文学 解釈と鑑賞』 5月号 特集:日本浪曼派とその周縁 2002.4)
・「韓国映画史 2」(『YPSILON』 9号 2002.2)
「開化期韓国における活動写真≠フ伝来と近代日本」(『佐賀女子短期大学 研究紀要』 第35集 2001.3)
・「日帝統治下における韓国映画試論」(『國際言語文學』國際言語文學會・韓国 2000.12)
・「韓国映画史 1」(『YPSILON』7号 2000.11)
「『太陽と鉄』 物語化する「私」と「現実」」(至文堂『国文学 解釈と鑑賞』 11月号 特集:三島由紀夫 2000.10)
・「韓国語初学者への韓国語会話教材の試み ―用言「第三語基」を中心に―」(『佐賀女子短期大学 紀要』2000.3)
・「俳句の現在 4」(『俳句界』11月号 北溟社 1997.10)
・「俳句の現在 3」(『俳句界』 9月号 北溟社 1997. 8)
・「俳句の現在 2」(『俳句界』 8月号 北溟社 1997. 7)
・「俳句の現在 1」(『俳句界』 7月号 北溟社 1997. 6)
・「アカシヤのある近代・文学空間 4 ―明治の文学風景と樹木の変容―」(『白』1995. 1)
・「アカシヤのある近代・文学空間 3 ―樹木からみた明治文学風景の変容―」(『白』1994. 6)
・「アカシヤのある近代・文学空間 2 ―明治の都市空間とアカシヤ―」(『白』1993.12)
・「アカシヤのある近代・文学空間 1」(『白』1993. 6)
「橋川文三論 ―郷土喪失感情とロマン派体験―」(『白』1992.12)
「橋川文三試論 ―中学時代の橋川文三―」(『白』1992. 6)
・「初期保田與重郎論 3 ―「『批評』の問題」と近代解体の論理―」 (『大学院研究年報』1988. 3)
・「初期保田與重郎論 2 ―〈言葉〉と〈作家的危機意識〉について―」 (『中央大學國文』1988. 3)
・「初期保田與重郎論 1 ―初期文学論におけリアリズムと〈生の哲学〉について―」 (『論究』1988. 3)
・「吉本隆明試論 ―禁制論を手がかりにして―」 (『中央大學國文』1985. 3)
・「保田與重郎論 ―〈大衆〉概念の所在をめぐって―」 (『中央大學國文』1983. 3)


競争的研究資金関連
・日本学術振興会科学研究費 基盤研究(C):研究課題「朝鮮総督府発行教科書・教授書・編纂趣意書に見られる「同化思想」の形成について」 平成26年度〜平成30年度
・日本学術振興会科学研究費委員会専門委員 第一段階審査「日本語教育」 基盤研究(A)(B)(C)、萌芽研究 計160件 平成21年

・日本学術振興会科学研究費委員会専門委員 第一段階審査「日本語教育」 基盤研究(A)(B)、萌芽研究、若手研究(A)(B) 計91件 平成20年度
・日本学術振興会科学研究費 基盤研究(C):研究課題 「朝鮮総督府の「国語」普及政策と教科書編纂について」 平成20年度〜平成23年度
・日本学術振興会科学研究費 基盤研究(C):研究課題 「朝鮮総督府における「国語」政策の基礎的研究―朝鮮総督府編纂発行ヘ科書とその背景―」 平成16年度〜平成19年度
・日本学術振興会科学研究費 萌芽的研究 : 研究課題 「朝鮮総督府における「国語」政策」 平成12年度〜平成14年度



翻訳
「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 12」(『YPSILON』 26号 2012.1)
「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 11」(『YPSILON』 25号 2011.1)
「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 10」(『YPSILON』 23号 2010.7)
「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 9」 (『YPSILON』 22号 2010.1)
「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 8」 (『YPSILON』 20号 2008.12)
「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 7」 (『YPSILON』 19号 2008.7)
「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 6」 (『YPSILON』 18号 2007.11)
「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 5」 (『YPSILON』 17号 2007. 6)
・「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 4」 (『YPSILON』 16号 2006.10)
・「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 3」 (『YPSILON』 15号 2006. 1)
・「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 2」 (『YPSILON』 14号 2005. 8)
・「安鍾和著/長沢雅春訳 『韓国映画側面秘史』 ―植民地下の朝鮮映画史― 1」 (『YPSILON』 13号 2005. 1)


その他(いろいろ)
・講演「韓国中央図書館(旧朝鮮総督府図書館蔵書)の利用について―科研費による調査より」
 (平成27年度第1回福岡県・佐賀県大学図書館協議会南部地区研究会 於:佐賀女子短期大学2015.10.15)
「滞韓日誌(6)」(『YPSILON』 30号 2014.6)
・「滞韓日誌(5)」(『YPSILON』 春季増刊号 2008.3)
第6回佐賀県韓国語スピーチコンテスト審査委員 2008.2.24(於:アイスクエアビル)
・口頭発表「朝鮮総督府における「国語」政策の基礎的研究―朝鮮総督府編纂発行ヘ科書とその背景―
  九州大学韓国研究センター主宰 日本統治期朝鮮半島研究 ワークショップ文化研究編
(九州大学国際ホール 2007.12.15・16)
・平成19年度佐賀地域留学生等交流推進協議会運営委員
・「蒲原ありあけ『松浦あがた』」(至文堂『国文学 解釈と鑑賞』 4月号 特集:旅と文学 2007.3)
第6回佐賀県韓国語スピーチコンテスト審査委員 2007.2.25(於:アイスクエアビル)
・日本社会文学会 秋季大会 シンポジウム「近代とナショナリズム」にて報告 「日本浪曼派の文学と戦争―保田世重郎と昭和の若者―」(於:同志社大学 2006.11.12)
・書評 河田和子著『戦時下の文学と〈日本的なもの〉―横光利一と保田與重郎―』 (『社会文学』 第31号2010)
・日本近代文学会 秋季大会 発表 「教科書に書かれた〈外地〉と〈内地〉―朝鮮総督府編纂教科書を中心に―」(於:九州大学医学部百年講堂 2006.10.28)
・平成19年度佐賀地域留学生等交流推進協議会運営委員
・第4回佐賀県韓国語スピーチコンテスト審査委員 2005.2.27(於:佐賀新聞社)
・佐賀県立福祉施設あり方検討委員会委員(2004.5〜2005.3)
・「滞韓日誌 4」(『YPSILON』12号 2004.5)
・第3回佐賀県韓国語スピーチコンテスト審査委員 2004.2.1(於:佐賀新聞社)
・「日韓近代をめぐる雑感」(『YPSILON』11号 2003.9)
「極東を愛した若き音楽教師」(佐賀新聞 「ろんだん佐賀」 2003.06.30 朝刊)
「アカシヤのある近代」(佐賀新聞 「ろんだん佐賀」 2003.05.12 朝刊)
「韓国映画の源流」(佐賀新聞 「ろんだん佐賀」 2003.03.24 朝刊)
「N世代―社会的主導権を奪う」(佐賀新聞 「ろんだん佐賀」 2003.01.27 朝刊)
・書評「柴田勝二著『三島由紀夫 魅せられる精神』」(至文堂『国文学 解釈と鑑賞 2月号 特集:21世紀の古典文学』 2003.1)
「日本語教育と国語教育」(佐賀新聞 「ろんだん佐賀」 2002.12.16 )
「民族の誇りと喜び」(佐賀新聞「ろんだん佐賀」 2002.10.21 朝刊)
「辰野金吾が残したもの」(佐賀新聞 「ろんだん佐賀」 2002.09.02 朝刊)
「日本浪曼派文献目録―昭和54年以降 長沢雅春編」(至文堂『国文学 解釈と鑑賞』 5月号 特集:日本浪曼派とその周縁 2002.4)
・中村学園大学講師「文学」「日本語表現」(2002.4〜)
・佐賀大学講師「文学」(2002.4〜)
・「蒙昧な領域、植民地下の朝鮮映画について」(『清水市文芸協会会報 No.51』 清水市文芸協会 2001.11.15)
・「滞韓日誌 3」(『YPSILON』 8号 2001.8)
・研究発表 「日帝下の朝鮮映画―日本人の活動を中心に」(日本社会文学会 於:法政大学 2001.6)
・「韓国映画史への視点」(第60号『社会文学通信』日本社会文学会 2001.2.20)
・研究発表 「日帝統治下における日本人の映画製作活動について」 國際言語文學會發表大会 於:韓国威徳大学 2000.10.6
・シンポジウム 「韓国現代文学と日本」にて通訳。筑紫女学園大学・日本社会文学会九州沖縄ブロック主催 於:筑紫女学園大学 2000.6.13
・「滞韓日誌 2」(『YPSILON』 6号 2000.5)
・研究発表 「アカシヤのある日韓文学風景」 日本比較文学会九州支部 例会研究発表 於:九州大学 2000.401
・書評 『日本浪曼派とナショナリズム』ケヴィン・マイケル・ドーフ著:小林宜子訳:柏書房(至文堂『国文学解釋と鑑賞』1999.11)
・第3回九州アジア大学 第六分科会コーディネーター 於:唐津ロイヤルホテル 1999.8.9〜8.13
・「現代文学・映画からみるアジア文化の動向」
・「滞韓日誌 1」(『YPSILON』 5号 1999.8)
・「釜山の応用問題」(『YPSILON』 4号 1998.10)
・「路上の韓国―川崎コリア・タウンから―」(『FOR』財団法人西原育英文化事業団 第9号 1997)
・「問われ続ける戦争体験論の意味」 (『神奈川大学評論』 1994. 3)
「林朋子・能城檀論」(1993)


back