ヒディング監督手記 1〜5

(『東亜日報』連載)



(2002年7月)


再びW杯の季節がやってきました。
『東亜日報』が伝えた4年前の興奮の声を採録しました。




ヒディンク監督手記 1 
「韓国は永遠に私の心の中に」(7.02 東亞日報)


 トルコとのサッカー・ワールドカップ(W杯)最後の試合が終わった後、赤いうねりで一杯の観客席を見上げた。胸の奥から何か熱いものがこみ上げてきた。ポルトガル、イタリア、スペインを破って勝ち進んだ時とは違う、また別の感じだった。目頭が熱くなった。もはや韓国は、私にとって何よりも大切な存在となった。韓国を愛している。堂々と第2の祖国だと言える。今後私がどこで何をしようとも、韓国は永遠に私の心の中にあり、絶対忘れることはできないだろう。

 多くの人々が、私が韓国チームの監督としてしたことを「ヒディンク式経営」と言う。そしてこれまでに起こったことを「ヒディンクシンドローム」とも言った。身に余る評価を受け、韓国国民に感謝する。しかし、私も一人の人間に過ぎない。私も失敗はする。

 正直に言って、私は「英雄心」が好きではない。私が韓国チームの監督としてこの数年間にしてきたことは、選手個々人の自己啓発を助けただけだ。私は遠回りに言うことが好きではない。常に率直に直接的に言う。私は選手たちに私が望むものが何であるかを率直に直接的な話法で話す。それが選手一人ひとりの才能を極大化させる最もいい方法であると信じる。そうしてこそ選手たちの「科学的結合」を導き出し、チームの力量を最大に引き上げることができるのだ。それが私のしたことだ。

 頼みたいことが一つある。韓国国民が忍耐強さを持つことだ。これから新しい監督が指揮する場合、新しいチームを構成する時間を与えなければならない。チームを構成して新しい基盤を作るには、かなりの時間がかかる。韓国チームがこれまでしてきたように、これからも絶えず努力するならば、すばらしいチームに成長するだろう。オリンピックやW杯でいい成績を出すには、新しい選手を発掘する努力を続けなければならない。出場しなければ選手は経験を得られない。この点を肝に銘じるべきだ。選手もチームも、忍耐強く見守らなければならない。名残惜しさがないわけではない。私が「完璧主義者」であるためかもしれない。

 今回のW杯で、韓国チームは期待以上の成果を収めた。韓国選手たちもこれまでがんばった。しかし、最後のゲームも勝てたらよかった。初めの数分間は、守備の動きが満足できなかった。サッカーは試合の流れに乗るのが重要だ。最初にふらつかず、自分の位置を守るうちにリズムに乗れば、ゴールを入れることができ、すばらしい試合になる。しかしトルコとの試合は、その面でよくなかった。だからといって不満があるわけではない。全般的に韓国チームの試合に満足している。何よりも、私が以前にも言ったように、全世界に衝撃を与えたことをうれしく思う。

 南米、北米、ヨーロッパの多くの国の人々が、韓国チームの試合を見て非常に深い印象を受けたという電話やメールを私に寄せてきた。韓国人の熱のこもった応援や韓国チームのレベルの高い試合に驚いたという内容だ。私はトルコとの試合に満足しなかったが、多くの人々は、韓国チームの攻撃的なプレーを楽しんだと伝えてきた。私が韓国チームに対して一番好きなところは、試合がうまく進まない時も退かない姿だ。彼らは、すぐにまたもとの位置に戻って戦った。韓国人がそうなんだと思う。絶対にあきらめない。また立ち上がって始める。一歩引いた後にはまた進む。韓国チームもそうだった。

 私が韓国チーム監督になって考えたのは、未来だった。ただW杯に出場して勝利する以上のことを果たすという考えだった。韓国チームの全般的な競争力を引き上げる環境づくりに最善を尽そうと考えた。それはたやすいことではない。韓国チームが他のチームと異なる何かを備えたチームにならなければならないからだ。基礎の競争力を育てることができれば、世界のどの国のチームとも戦える力量が生まれる。試合には困難がつきものだ。そんな時にも再び立ち上がって戦わなければならない。それにはしっかりとした基礎が必要だ。

 W杯4強という成績よりも私が満足することは、まさにこのような面で得た成果だ。もはや韓国選手たちは、どんなに強い相手に会っても、怖気づくことはない。普段のように個人の力量をすべて発揮し、試合をリードすることができる。相手を尊敬しながらも怖気づかない精神が、まさに韓国サッカーの未来だ。

 時おり周囲の友人が、韓国に来たことについて後悔しないかと聞く。今私は何の後悔もない。むしろ幸せだ。前にも言ったが、私は韓国チームが長期的な競争力を持つ土壌を作ろうと努力し、ある程度成功したと考える。これは、私のサッカー人生で非常に記憶に残る成果だ。それだけではなく、個人的にも非常に有益な経験だった。私は、韓国に来て多くの友人に会い、深い友情を交わした。多くの韓国人が私に寄せた友情をこれからも忘れないだろう。



ヒディンク監督手記 2(7.02 東亞日報)


 監督職を引き受ける前まで、私が韓国について知っていたことを浮かべてみた。98年、フランスW杯で、韓国チームを見たのが初めてで最後だった。そのとき見た選手の一部は、私が指導してきた今の代表チームにも所属している。その当時、韓国選手たちは多少消極的(modest)だった。もちろん、私は韓国について多くのことを知らなかった。韓国が、相手チームだったので、情報を収集しようと努力したが、韓国チームについて知っている人は多くなかった。

 当時、記者たちも、韓国チームを取材しようとしたが、知られていることがあまりない、という話をしていた。私が指導していたオランダチームについては、多くのことが知られていたが、韓国は相対的に、あまり知られていなかったのだ。

 監督を引き受けてから、韓国チームの試合を収録したビデオテープを入手して見た。当時のアジアカップでの試合を含め、30試合ほどだったと思う。12月20日の韓日定期戦が終わった後には、韓国代表チームの選手個々人の長所短所を送ってくれと要請した。試合テープを見たら、技術的には問題がなかった。むしろ、韓国選手たちは、ほとんどが両足を自由自在に使っていることに驚いた。私は、韓国チームの問題点は体力だと結論付けた。

 韓国に入り、鄭夢準(チョン・モンジュン)大韓サッカー協会会長に会った。明確な目標を決め、原則に忠実な人だった。鄭会長は、私が韓国チームの戦力を高める上で必要と思われるすべての条件を提供することを約束して、「目標は優勝だ」と言った。私は、それが気に入った。目標があれば、率直に表に出して表現した方が良い。目標を立てるのに謙そんする必要はない。目標は明確に定めた方が良い。そして高いほど良い。韓国チームはそれを証明した。目標を高く定めると、その高い目標に近づくために、さらなる努力を傾けるようになる。私は、これまで高い目標を定めて、それを成し遂げるために努力した韓国と韓国チームが誇らしい。

 翌年の1月12日、蔚山(ウルサン)で選手たちとの初顔合わせがあった。最初は選手たちとの意思疎通がうまくいかず、苦労した。もちろん素晴らしい通訳さんがいたけど、選手たちが私に少し距離感を覚えているようだった。しかし、時間が経つに連れて、我々はお互いに何を感じて何を考えているのか、よく分かるようになった。今年に入って、コーチや選手たちに話しかけるときは通訳が要らなかった。選手たちも、私に自然に自分たちの考えを話した。英語がうまくなくても、知っているいくつかの単語を並べながら私に話しかけてきた。私は選手たちにホテルや休憩時間に英語を勉強することを勧めた。

 当時、私は、選手たちの間で対話がないことを注目した。もちろん、私は、韓国は後輩が先輩を尊敬する社会だということを知っていた。私は、韓国社会を尊重する。しかし、チームワークのためには少し変化を与える必要があった。先輩と後輩の間に壁があっては、チームワークを100%発揮できなくなる。私は、年齢別に、親しい選手同士で座って食事を取る習慣を変えなければならないと考えた。

 食事時間に、先輩と後輩が一緒に座ってこそ、多様な対話が可能になるからだ。選手たちに食事時間を厳守するよう指示した。一緒に始め、一緒に終わらせたのだ。テーブルには先輩と後輩たちが交わるがわる座るようにした。食事時間には、一切、私的な電話にも出ないようにした。選手たちは、はじめは窮屈そうだった。私は、先輩たちを呼び、後輩たちに近寄って、互いに形式にこだわらずに対話をし、気持ちを分かち合うことを勧めた。先輩たちは、後輩たちに「ああしろ、こうしろ」と指示する立場に立ってしまうと、後輩たちが十分な力量を発揮できなくなると考えた。

 私は、最初、監督の提案を受けたとき、サッカー協会の関係者に「私が選手たちに木に登れと言えば、従うだろうか」と聞いたことがある。私は、英雄よりは、独裁者になることを希望した。スターに頼るよりは、チーム全体が機械のようにかみ合いながら回る組織力を作りたかった。そのためには、選手たちの献身が求められた。規律も必要だった。選手たちが、最初は服装も自由に着ていたが、移動中も統一するようにした。すべての日課も、私の時計に合わせるようにした。規律をたてるためだった。

 私に対する「紳士的だ」という評価は、選手たちが規則と規律を守ったときは適当な言葉だが、そうでない場合は違う。規律と規則が、私を今の位置に導いてくれたからだ。もちろん選手たちのプライバシーは尊重した。昨年、高宗秀(コ・ジョンス)選手が物議をかもしたときも、私は気にしなかった。代表召集期間でなかったからだ。

 私は、選手たちがグラウンドで私の要求した条件を満たしてさえくれれば、それで満足する。残りは、選手各自が自分で判断し、行動すればいい。韓国選手たちは、大変純粋だった。私が要求した条件に期待以上によく従ってくれた。学習速度でも、私がこれまでに指導した選手たちのなかで、もっとも早かった。今も選手たちに感謝している。どこでも、こういう選手たちに出会うような幸運はないだろう。

 韓国との初めての出会いで忘れられないことがひとつある。選手団と初顔合わせをした日、一緒に夕食を取りに行ったのだが、どうしてもはしを持ち上げる気にならなかった。ニンニクの匂いを嫌がっていたからだが、コーチたちが、生きている子ダコの味見を勧めたときは目まいがするほどだった。韓国料理に適応できなかったことについては、いまも済まない気持ちだ。選手たちに比べて、私の献身が足りなったためかも知れない。



ヒディンク監督手記 3 コンフェデ、ゴールドカップの試練を乗り越えて(7.03 東亞日報)


 今年初めの北中米ゴールドカップ大会のとき、多くの人たちが私を非難した。しかしゴールドカップは、選手たち自らの力量を証明してみせるべき時期だった。ある選手は自分の力量を証明することに成功したし、ある選手は失敗した。またゴールドカップのときは、海外で活躍している韓国選手たちが、まだ代表に合流していなかった。

 実際、韓国チームのプレーはそんなにひどいものではなかったが、良い成績を収めることはできなかった。韓国選手たちが、相手チームを効率よく攻撃するだけの力量やパワーに欠けていたからだ。私は、健全な批判は受け入れる。私は、選手たちを指導する方式について、違う考えを持っている人たちのコメントも歓迎する。民主主義国家で言論が健全な批判を行うのは、あまりにも自然なことだ。しかし、時にはありもしないことを作り出してチームの分裂をはかる記事が載るときは、実に腹が立った。

 たとえば、私がドクター李とけんかをしたとか、いう類の記事だ。私は、その記事を書いた記者に「来て、事実だということを証明してみろ」と言ったが、その記者には二度と会うことがなかった。ドクター李は、今の私のもっとも親しい韓国人の友人の一人だ。またワールドカップ開幕直前に、崔龍洙(チェ・ヨンス)が私のチーム運営方式に不満を抱き、練習を拒否しているという記事もあった。私は、その記者に「あなたは記者なんかじゃない。今後私の会見には入ってくるな」と言ってやった。

 しかし、言い過ぎたような気がして、翌日には謝った。でも、いったい、どうしてそのような類の記事が載るのだろうか。崔龍洙は、負傷でベンチメンバーだったが、チームが勝利するたびに、誰よりも先にグラウンドに駆け出して喜んでいた。重要な大会を前にして、皆さんのチームを自ら分裂させようとする思惑を、今でも理解できない。

 昨年、コンフェデレーションズカップで、フランスに0−5で敗れたあと、私はマスコミの激しい批判を予想した。当時、私はフランスの戦術を読み間違えていたからだ。フランスが2トップではなく1トップで臨んで来たため、中盤で数の劣勢を見せCKとFKを与え過ぎてしまった。私は、結果に責任を取り、これに対する批判を楽しむ。しかし、この問題についての記事はなかった。むしろ穏やか過ぎるくらいだった。繰り返して言うけど、私は批判は受け入れる。

 しかしマスコミは、国民に多大な影響を与える。責任意識を持ってほしい。ある人は、私の長期的な目標を理解できなかったようだ。私がベスト11を確定せず、選手たちをいろんなポジションに配置しながら、テストを続けると「いつまでテストばかり続けるつもりなのか」と非難をぶちまけた。しかし、いろんなポジションを消化した選手たちが、今回のW杯で大きな役割を果たしてくれた。私は、昨年8月のチェコ戦で、またしても0−5で敗れたあと「強いチームとの対戦を続けなければならない」と強調した。

 弱体を相手に勝利を積み上げるのは、自分自身をあざむくことだ。強いチームと戦い続けてこそ、強いチームを相手に戦える能力が生まれる。しかし、多くの人たちは、これを理解しなかった。むしろ、選手たちが自信感を失うかも知れないとして批判した。韓国チームは、W杯以降、当分はスランプに陥るだろう。世代交代のためだ。黄善洪(ファン・ソンホン)や洪明甫(ホン・ミョンボ)など年を取った選手たちが引退し、若い選手たちがその空白を埋めるまでには時間がかかるだろう。どの監督が赴任しても、十分な時間が与えられなければならない。若い選手たちが失敗をしても、愛情をもって見守ってやらなければならない。選手選考についても非難が多かった。

 金秉址(キム・ビョンジ)にはつらい時間(hard time)を送らせたが、それには理由がある。私は、選手たちに個人の技術、チームの戦術、精神力を強調した。そのなかでも一番重要なのは精神力だ。いくら技術が優れていても、うぬぼれてチームプレーをダメにするのでは、代表選手としての資格はない。安貞煥(アン・ジョンファン)も同様だった。マスコミが、ときにはスター選手たちを過度に過大評価し、選手たちが伸びる機会を奪っている。

 安貞煥は、自らの間違いを直したし、今回のW杯で満足のいくプレーを見せてくれた。金秉址は、W杯直前、李雲在(イ・ウンジェ)よりコンディションが良くなかったためチャンスを与えられなかった。金秉址が李雲在より劣っているからではない。李東国(イ・ドングク)や高宗秀(コ・ジョンス)など、何人かが(W杯代表)リストに入らなかったことに多くの人が失望したことも知っている。再三言うけど、私は最終エントリーを決めるまでに、選手たちを対象に多くのテストを実施した。そして、最後の瞬間、私は結局23人だけを選択しなければならなかった。もちろん27人や28人を選ぶことができるのならば、みんなエントリーに含まれただろう。

 しかし、代表チームのエントリは限られており、私はポジション別にバランスを合わせなければならない。私が、かりにストライカーを5人や6人を選抜したら、その分、エントリーのなかでMFやDFが少なくなることになる。チームの均衡が割れていまうのだ。それで李東国を外したのだ。李東国は、他の攻撃手たちとの競争で負けたのだ。高宗秀は、ちょっと違うケースだ。彼は負傷のため、体が試合ができるほどの状態ではなかった。だからと言って、李東国の能力を過小評価しているのではない。

 私は、リストを発表する前日の夜、李東国に不可避な状況を直接伝えた。2006年のW杯で、彼を見ることができると嬉しい。今年初めのゴールドカップのとき、東亜(トンア)日報の記者が、私に「この先4年もっと代表チームの監督を務めるとした場合、韓国サッカーをどのくらいまで持っていけるか」と質問したことがある。私は、「国際サッカー連盟(FIFA)ランキング10位」だと答えた。もっとも難しい時期だったが、韓国サッカーの能力を確信していたからだ。

 ひとつのチームをけん引する監督なら、ましてや、ひとつの国家を代表するチームの監督なら、遠い先を見越すことができなければならない。だから孤独になるかもしれない。韓国マスコミとサッカーファンも、今は、この点を理解してくれるだろう。新しい監督が赴任すれば、彼に時間を与えてやるべきだ。私は、それが真に韓国チームのためになる道だと考えている。



ヒディンク監督手記 4 最後の1分を残してもチャンス作れる力量備えた(7.03 東亞日報)


 私は、ちょっと興奮しすぎていたようだ。韓国がフランスと国際Aマッチを行った日(5月26日)の夜だった。私は、アムステルダムから駆けつけた旧友と、ソウルのハイヤットホテルで久しぶりに午前3時まで盃を傾けた。

 私は、友人に「韓国が大変好きだ。選手たちも非常に良く従ってくれるので、すべてが順調だ」と言ってやった。ワールドカップ(W杯)で世界を驚かせるだろうとも豪語した。自信があったのだ。韓国は、この日、フランスに敗れたものの、すばらしい試合を繰り広げた。韓国選手のプレー方式と流れは拍手を受けるのに十分だった。韓国選手たち自ら自信感を持てるようになったし、士気も大きく上がった。韓国チームは、これに先立ってスコットランド、イングランドとの国際Aマッチを通じて、多くのことを得た。

 しかし、フランスは皆が知っているように、非常に魅力的な先進サッカーを展開するチームだ。フランス戦では、むしろ韓国チームの方が全盛期のフランスの戦力くらいの魅力的な試合を見せてくれた。韓国チームが、相手選手にプレスをかけ、けん制する能力に優れていることを全世界に見せつけたものだった。フランスの選手たちは、試合が終わったあと、私のところに来て「我々が試合するには大変暑い気候だった。韓国チームは、思うままたっぷりのプレーを繰り広げたが、自分たちはできなかった」と不平を漏らしていた。

 試合が終わったあと、フランス選手たちは大変怒っているように見えた。私は、胸いっぱいになる気持ちを隠せなかった。世界一流のフランスチームが、そういう態度を見せたのは、韓国チームにとってはこの上ない賛辞だった。私は、フランス戦で、韓国チームの無限の可能性を見た。韓国選手たちは、ホイッスルが鳴る直前の最後の瞬間まで、絶えずチャンスを作り出した。時間が残り少なく、もはや希望がなくなったように見えた瞬間にも、韓国選手たちは希望を作り出した。インジャリータイムに入り、91分や92分になったときでも、1、2度のチャンスを作り出した。韓国選手たちは、いかなる状況でも、あきらめずに相手を崩そうとする意志を見せてくれた。

 私は、普段、選手たちに「あと最後の1分を残しているなかでも、十分にチャンスを作る出せる力量を、もはや備えた」と言ってきた。韓国選手たちは、のちにイタリアとのW杯準々決勝で、それを明確に証明した。私はイタリアとの対戦で0―1でリードされている状況で、終了時間間際になっても希望を捨てなかった。韓国選手たちは、絶対に止まることがない。実に誇らしいチームではないか。実際、私は、韓国選手たちに初めて会った瞬間から希望を見た。韓国選手たちは、W杯自体を光栄に思っていたし、この舞台の主役になるためには、どんなこともやれるという意志を燃やしていた。そういう心構えは、私にとって大きなショックだった。

 昨年2月12日にドゥバイで行われたアラブ首長国戦の前日の夜、薛g鉉(ソル・ギヒョン)が欧州から到着した。翌日、私は彼にわざわざ「試合に出場できるか」と聞いてみた。精神力をテストして見たかった。薛g鉉は、「二日前に90分をフル出場したので疲れているけど、30分くらいなら自信がある」との答えた。まさに、こういう点だった。韓国サッカーが、以前どういう成績を挙げてきたのかは、私にとっては重要でなかった。

 私は、W杯のとき応援席で披露されたカードセクション「夢はかなえる」の言葉を好む。強い意志さえあれば、やれないことはないというのが私の考えだ。私は、選手たちを強く調練した。闘鶏に育てたかった。ナイスガイ(nice guy)は、責任を回避する卑怯者に過ぎない。選手たちが、実戦や練習試合のとき、よほどのケガでもして倒れない限り、チームドクターを出さなかった。選手たちが強い精神力を備えてこそ、技術でも戦術でも、まともに機能するものだ。練習の際の私の言葉遣いが荒いのも、常に緊張感を保つためだ。代表チームの選手選考にあたっても、この点をもっとも優先して見た。体格が絶対的なものではない。

 過去の韓国代表チームは、欧州チームに勝つために身長の高い選手を好んだいたようだが、その必要なない。過去の名声も、考慮対象ではない。私は、無名の選手たちが大選手になるケースを数多く見てきた。私が抜てきして育てたリマリウ(ブラジル)やコック(オランダ)などの選手も、そのケースのひとつだ。選手自身、勝とうとする意志さえあればいいのだ。その後、彼らがどんなタイプのプレーをできるのかを見て、監督としてもっとも適合した戦術を見つけ出せばいい。

 韓国選手たちは立派だった。闘志に満ちているだけでなく、自信感があふれていた。私が昨年、フランス、チェコに大敗した後も、続けて欧州の強豪と試合を希望したのは、選手たちの精神力を信じていたからだ。私は、選手たちに「引くな。欧州に勝つためには、欧州と戦い続けながら、失敗を犯して、その失敗から教訓を見つけなければならない」と強調した。私が、新人選手たちを果敢に起用したのも、彼自身、失敗を通じて学ぼうとしていたからだ。

 韓国は昨年11月、クロアチアとの二度のAマッチで、初めて欧州に対する恐怖感を克服した。1勝1分けの好成績を収めた。韓国は、この試合で守備の不安を相当解消した。クロアチアの攻撃手が速やかに守備背後への浸透をはかっても、あわてることなく、だまされることもなかった。長い間、繰り返した失敗から学んだのだ。とくに気に入ったのは、韓国選手たちが、常に洗練されたサッカーができることを願っているということだ。その分、私はかなり攻撃的なサッカーで魅力のある試合を繰り広げることができた。

 韓国チームは、今年3月、私の心の故郷、スペイン・ラマンガで実施した転地訓練のときから、誰も無視できないチームになっていた。2月のゴールドカップのときまで、周囲の批判を押し切って、絶えず実施してきたフィジカル訓練の効果が表れはじめたのだ。その後のことは、みなさんの方もご承知の通りだ。われわれは、フィンランドに完勝したし、トルコ戦では守備ラインが3バックと4バックを自由自在に活用しながら無失点で引き分けた。

 W杯を前にして金大中(キム・デジュン)大統領が京畿道坡州(キョンギド・パジュ)のトレーニングセンターを訪問した。私は、大統領に「韓国が16強に進出すれば、選手たちの兵役問題を解決してほしい」と切にお願いしたが、夢はかなえられた。韓国選手たちは、今後より大きな夢に向かって世界の舞台に出るだろう。



ヒディンク監督手記 5 
夢はかなった。しかしもっと大きな夢があった(7.03 東亞日報)


 本当のことが聞きたいのか。6月4日のポーランドとのワールドカップ初戦の前夜、私も興奮していたし緊張した。韓国国民の期待があまりにも高すぎるのではないか、とも思った。こんな気持ちは初めてだった。私は、いつもすでに完成された強いチームだけを指導してきたからだろう。ある韓国人の友人が「最善をつくしたから、天が助けてくれるさ」と言っていた。彼の話どおりだと思った。私は恐れてはいなかった。結果については豪語できないが、韓国チームは活力があふれていたからだった。

 翌日、ポーランドを迎えた。大変な対戦だった。韓国選手たちは、技術的に、精神的に素晴らしいプレーをした。私と同じように、韓国選手たちは、精神的に大きな負担を抱えて試合に挑んだ。ホームでの試合だけに、史上初のワールドカップ初勝利を挙げなければならないというプレッシャーは大きかった。国民の期待が大きかったのと比例して、選手たちの緊張感は言葉で表現し切れないほどだった。

 韓国チームは、結局、ポーランドとの試合で勝った。選手たちは大きな成就感を得たし、私も喜びの余り、自分ひとりでひっそりと悲鳴を上げた。夜遅く、ソウルにいる友人に電話をかけた。彼は、「いまも人々は街に残っている」と、興奮した声で韓国人たちの喜びを伝えてくれた。私は、はじめてこの日の勝利が韓国チームと韓国人たちにどういう意味を持つのかを実感することができた。しかし、初勝利だったが、最初のボタンに過ぎなかった。私にとっては、それ以上でも以下でもなかった。なぜならば、私には2回戦(決勝トーナメント)に進出しなければならないという欲があったからだ。

 ポーランド戦の勝利は、終わりではなかった。始まりに過ぎなかった。私は、試合が終わったあと、選手たちに言ってやった。「こら、みんな!今日は素晴らしい試合をした。しかし、まだ終わっていないぞ。いま始まったばかりだ。まだ先は遠いぞ」


 二回目の米国との試合は、そんなにがっかりするほどのものではなかった。この試合も、選手たちはやはり大変緊張した状態でグラウンドに出た。米国は、非常に素晴らしいチームなのに、多少、過小評価されている感じがした。ポルトガルまでも、米国戦で、苦しい試合を繰り広げては、結局敗れたではないか。

 韓国チームは、何回かのチャンスを生かせない不運が続いた。しかし、韓国チームはもちろん、韓国国民はあきらめなかった。再三言うけど、韓国選手と韓国国民のこういうところが、私は一番好きだ。韓国選手たちは、困難な状況下でも絶対に引くことを知らない。常に危機を克服しては再び立ち上がった。米国チームとの試合が終わったあと、選手たちは心理的にい縮していた。私は、これを良い兆候だと解釈した。選手たち自身、米国と引き分けたことに満足できなかったことを意味するからだ。

 つまり、選手たちが、自分たちの能力がどのくらいなのかを知り、何が間違っているのかを知っているということだ。もちろん、この日の試合で、わが選手たちが、消極的なプレーをしていたなら、私も満足しなかっただろう。しかし、選手たちは完璧なチャンスを作り出すために、積極的に努力したし、私はこの点を高く評価した。

 米国戦のあと、韓国が属したD組は新しい「死の組」に浮上した。先にポルトガルが米国に敗れてため状況が複雑になってきた。ポルトガルは、米国を過小評価したし、名声に及ばない、つまらないプレーを見せた。ポルトガルが米国に敗れたため、韓国は少し難しい状況下に置かれるようになった。当初の予想は、我々がポーランドに勝ち、ポルトガルが米国を下せば、韓国とポルトガルが容易に2回戦に進出できるものとみていたからだ。

 みんなが承知の通り、ポルトガルはたやすい相手ではなかった。たとえ米国との初戦で負けてはいたものの、ポルトガルは世界的な強豪だった。韓国選手たちは、ポルトガルとの対戦を控えて、大変緊張していた。しかし、韓国選手たちは、緊張のなかもで自分たちのプレーと戦術を見せてくれた。

 彼らに大きな拍手を送りたい。私は、ポルトガルとの試合の途中、ポーランドが米国をリードしていることを知った。選手たちは、前半中、そのことを知らなかった。前半が終わり、ハーフタイムに入ったとき、一部の選手たちがポーランド―米国戦の状況を知ったようだ。ポーランドが米国を倒せば、我々はポルトガルに負けても16強に進出できる状況だった。しかし、私は妥協を好まない。それはスポーツではない。選手たちは、どんな状況でも最善を尽くして走らなければならない。韓国選手たちがそうだった。

 ポルトガルは、韓国と引き分けさえすれば16強に進出できたため、韓国と適当にやって引き分けようと考えていただろう。しかし、韓国選手たちは、最善を尽くして自分たちのプレーを繰り広げ、ポルトガルに堂々と勝った。優勝候補にあげられたポルトガルに勝つことによって、韓国は初めて世界の注目を集めるようになった。

 この日、朴智星(パク・チソン)がゴールを決めたあと、私に飛び込んだのが話題になったことを知っている。私は、普段、選手たちに個別に会わないことにしている。それは、私のチーム管理のノーハウだ。選手に別々に会うと、私が誰々だけを偏愛しているという話が出ることになり、チームワークを損ねる。しかし、この日だけは朴智星をぎゅーっと抱き締めてあげるほかなかった。彼が入れたゴールは、欧州のプロリーグでもなかなか目にすることが珍しい、世界トップクラスのゴールだったからだ。韓国が16強進出に成功したとき、私は信じられないという気持ちになっていた。

 韓国チームの成果は、驚くべきものだった。韓国の16強進出は、W杯初の出来事だった。やがて夢はかなえられたのだ。いかにも胸がいっぱいになることではないか。私は、ビックマッチを終えたあとは、一人でいることを好む。ワインを一杯やりながら、その夜を祝った。しかし私は依然として腹が空いていた。相手チームが強いほど、必ず勝ちたいとする勝負欲が湧き出る。たまたま、次の相手はイタリアだった。





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